~ いじめによる事件 ~ 事件④上福岡第三中学校いじめ自殺事件
はじめまして!いじめ撲滅委員会代表,公認心理師の栗本顕です。私は学生時代、そうぜつないじめを体験して、大学院でいじめの研究をしてきました。
現在はいじめの問題を撲滅するべく、研修やカウンセリング活動を行っています。
今回のテーマは
「上福岡第三中学校いじめ自殺事件」
です。
今回の目次は以下の通りです。
・いじめの内容
・教育委員会の対応
・いじめの実態
・新たな教育指針
いじめは事件にも発展する危険のあるものです。今まで起きてしまった悲しき事件の全容を理解し、二度と起こらないようにしていかなくてはなりません。
上福岡第三中学校いじめ事件から学び、しっかりと教訓として押さえておきましょう。
いじめの概要
上福岡第三中学校いじめ自殺事件は、1979年に起こりました。概要は以下の通りです
被害者
男子中学生
加害者
主犯格3人(その他、小学生時代や中学の同級生複数名)
いじめの期間
1979年4月~1979年9月9日
場所
埼玉県上福岡市(現・ふじみ野市)
4月
中学校に入学した直後、被害者はクラスメイトと喧嘩になり複数の相手に組み伏せられました。このとき被害者が、相手の腕を噛んだため、喧嘩で悪者とされたのは被害者でした。
5月
・教師と両親の勘違い
5月20日の家庭訪問で担任教師は、被害者の両親に4月の学校での喧嘩について話をしています。担任教師は「噛みついた被害者が悪い」と両親に話しため、両親も被害者に非があるように認識します。
実は被害者は、いじめを受けていました。いじめる相手に反抗をしていましたが、クラスで一番小柄だった被害者の腕力ではかないませんでした。この被害者の反抗ぶりは、徐々に楽しまれるようになっていったのです。
・いじめが加速
被害者へのいじめがエスカレートし、クラス全員からのけ者扱いされるようになっていました。クラスメイトからは「壁」というあだ名がつけられ、被害者と話す相手はいなくなっていました。
被害者は休み時間、いじめを避けるため職員室の前に佇むようになります。授業が始まる時には、職員室から教師が出てくるのを待ち、一緒に教室に入り教室でのいじめを避けるようにしていました。
6月18日
・実名を添えた書置き
この日の夕方、被害者は以下の書置きを残して自宅から消えました。書き置きには、3人の加害者生徒の実名(H、O、W)が書かれていました。
H、O、Wにいじめられて、学校に行くのがいやになって、生きているのもいやになりました。ぼくは自殺します。さようならみなさん
書置きを見つけた母親は、慌てて学校に電話をしますが、担任は「警察への連絡はちょっと待ってください」といったそうです。
その後、被害者は午後8時半過ぎに帰宅しました。高層マンションから飛び降りようと試みた時の恐怖から、脂汗で全身がびっしょりでした。被害者は母親の姿を見るなり「お母さん、こわかったよう」と抱きついたそうです。
・学校への報告
両親は加害者生徒3人の親に、自殺未遂には触れない形で「仲良くしてくれるよう、子どもさんにいってほしい」と頼み込みました。また担任に対しては「息子の自殺未遂は狂言ではなく、本心からのことなのだから、二度とこんなことが起こらないように学校で処置して欲しい」と何度も頼んだそうです。
6月19日
・担任の軽率な発言
自殺未遂の翌日、担任はクラス全員に
・被害者がいじめがつらく家出したこと
・みんなで一人をいじめない
ように注意をします。そして被害者をいじめた人を挙手させたところ、書置きに記されたH、O、Wと、Y、A、Kの6人が手を上げたため、6人を図書室に呼び出し
「本当に死んでしまうよ」
と注意をします。この担任の軽率な発言から、被害者の自殺未遂がクラス中に知られてしまいます。加害者6人は教室に戻ってから、反省なく被害者に
「自殺野郎」
「家出っ子」
「死ぬ勇気もないくせに変なことしやがって」
とからかったそうです。
・いじめがエスカレート
自殺未遂以降、いじめが教師の目の届かないところで巧妙に行なわれるようになっていました。
美術室や昇降口に呼び出され、毎日のように暴行を受けていました。また服にマヨネーズをべったり塗られたり、机の中に蛇のおもちゃを入れられ、驚かされたりしたこともありました。
7月
いじめは休み時間の教室だけに留まらなくなっていました。
登下校時や所属していた卓球部での練習中にも広がり、クラス外の生徒たちにも被害者へのいじめが波及していったのです。
9月3日~9月7日
二学期が始まった直後の9月3日から7日の間に、被害者に対する集団暴行が卓球部で行われました。
9月8日
9月8日土曜日、家をでた被害者は学校へは行かず行方不明となりました。父親が車で探し回り、市内の路上で見つけます。2人は喫茶店に入り話し合いをします。
被害者は
「僕はずっと我慢してきたんだ。
でも、もう我慢できないよ。昨日だって・・・」
と漏らし前日、逆立ちで教室を歩かされたことを話したそうです。3時間の話し合いの後、被害者は父親の説得に応じる形で納得し、この日の夜は普通に過ごしていたそうです。
9月9日 飛び降り自殺
午前8時過ぎ、被害者は12階建てのマンションから飛び降りました。遺体はマンションの住民が発見しました。
この日は日曜日で、被害者は空手着を着ていました。靴に書かれた名字を頼りに、東入間署員が市内の同じ苗字の家へ片っ端に電話を入れ、被害者が判明しました。
教育委員会の対応
それでは、この事件について学校や教育委員会はどのように対応したのでしょうか。
いじめはなかった
上福岡市教育委員会で、三中事故対策委の「調査報告書」がまとめられた。それによると
「クラス内でいじめはなかった」
「被害者はいざこざの多い生徒であった」
と書かれていました。さらに同市教育委員会・小山教育長は被害者の両親に対し
今回の男子生徒の自殺はまったく不幸な出来事ではございましたが、学校当局および担任の教師は、教育者として、できうるかぎりの指導と対策を講じており、それでも自殺を防止できなかったという点では遺憾なことではありました。
しかし、それは学校及び教師の責任の範疇を越えるものであると考えます。なお、自殺の原因は種々の複雑な要因が噛み合っており、何が直接の原因であるかは断定できませんでした。
と話し、事件を片づけられようとしたのです。
遺族による調査で実態が判明
事件の原因が明らかにされないため、遺族たちは同級生や保護者に話を聞き、調査を進めます。
いじめに関わった生徒の保護者からは
「男子生徒が死んだのは親の責任だ」
と言われ、地域では白い目で見られることもあったそうです。しかしこの行動によって、悪口や差別、暴行など凄まじいじめの実態を知ることとなるのです。加えて小学校時代から、いじめがあったことを裏付けるものも出てきました。
被害者の死後、姉が持ち物を整理していると、小学校時代の卒業サイン帳(友人で回し書きをするメッセージファイル)が見つかりました。それには次のようなことが書かれていました。
「中学は男子生徒といっしょなんて、
神様はなにをやっているのだ」(女子)
「男子生徒へ―――。一生のおねがいです。
…死んでください(今すぐに)。…ただ
うれしいことといえば男子生徒と
別れることであります」(女子)
「中学は同じだ。いやだいやだ。
おまえとぜったい同じクラスになりたくない」(女子)
「中学はいっしょでないのでほっとしています。
そんなかおみてたらいつしぬかわからないもん。
ではサイナラ、なぜだかへんになってしまった」(女子)
など。。。
21名の名前が書かれたサイン帳に「頑張れ」というような普通のメッセージ書かれている中、10枚がこのような罵詈雑言でした。このサイン帳からわかることは、
・女子を含む、少なくとも10人以上がいじめに加わっていたこと。
・筆跡やイラストなどは、それぞれ違う感じであり、1人のいじめっ子がクラスメイトを装って書いたものではないこと。
です。
6年の時の担任教師は、男子生徒がひとりでぽつんとしていたのを覚えていたが、いじめについては知らなかったらしいのです。このサイン帳から、悪口を書いた教え子について「なぜあの子がこんなこと(を書いたのか)・・・」とうろたえたそうです。
在日韓国・朝鮮人への教育指針を発表
事件から4年が過ぎた1983年3月31日、上福岡市教育委員会はこの事件を契機として、在日韓国・朝鮮人の児童・生徒にかかわる教育指針を発表しました。
これは被害者が在日朝鮮人二世であることから、事件に民族差別の要素も持つことが分かったからです。
メッセージ
この事件では、いじめの予防・対応、その後のケアも不十分であったことが表れてしまっているものだと思います。
特に対応については、いじめを助長してしまうような不適切な内容でした。また、いじめから逃れるために職員室前にいたことを目撃した時点で、対策をすることもできたと思います。チーム学校としての連携が取れていなかったことは非常に残念です。
さらにその後のケアについても、加害者の生徒を指導した後の行動観察が不十分だったことも原因の一つではないのでしょうか。「いじめだからこそ」と慎重に対応することを心がけてください。
適切な「予防・対応・ケア」を
いじめ問題は「予防教育・適切な対応・抜かりのないケア」が欠かせません。
いじめが発生してしまうリスクや可能性を考慮し、児童生徒同士、クラスの雰囲気がいじめを許さない関係を作っていくことが求められます。
事態を最小限に、そして「0」に近づけるために配慮、その後のケアをしていかなくてはなりません。
何がいじめになるのか、いじめ解決のために動くことのできる教育、環境を作っていくことが必要です。
お知らせ
いじめ撲滅委員会では、いじめのない社会を実現するべく、以下のような取り組みを行っています。
教育関係者向け講演,指導
教育関係者、学校向けのコンサルテーションも行っています。研修や講演に興味がある方は下記ページをご覧ください。
相談をご希望の方へ
いじめ撲滅委員会では、全国の小~高校生・保護者のかた、先生方にカウンセリングや教育相談を行っています。カウンセラーの栗本は、「いじめ」をテーマに研究を続けており、もうすぐで10年になろうとしています。
・いじめにあって苦しい
・いじめの記憶が辛い
・学校が動いてくれない
・子供がいじめにあっている
など、いじめについてお困りのことがありましたらご相談ください。詳しくは以下の看板からお待ちしています。
<主な参考文献>
金 賛汀 1980 ぼくもう我慢できないよ ある『いじめられっ子』の自殺 一光社.
金 賛汀 1980 続ぼくもう我慢できないよ 『いじめられっ子』の自殺・その後 一光社.
金 賛汀 1981 先生はなぜ見殺しにしたのか 情報センター出版局.
大島 幸夫 1981 教師たちの犯罪 若いいのちが壊されていく 太郎次郎社.
佐々木 賢 1982 学校はもうダメなのか 学校内差別と非行問題 三一書房.